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広島地方裁判所福山支部 昭和46年(ワ)216号 判決

原告

森戸敏夫

被告

森戸勲

ほか一名

主文

被告両名は原告に対し、各自金二、三八三、五五八円二銭および内金二、一三三、五五八円二銭に対する昭和四四年一一月一七日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

原告のその余の請求を棄却する。

訴訟費用はこれを三分し、その一を被告両名の連帯負担とし、その余を原告の負担とする。

此の判決第一項は、原告が各被告に対し金八〇〇、〇〇〇円の担保をたてたときは、その被告に対し仮に執行することができる。

事実

原告訴訟代理人は、「被告両名は原告に対し各自金七、八四六、七一三円およびこれに対する昭和四四年一一月一七日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。訴訟費用は被告両名の連帯負担とする。」との判決ならびに仮執行の宣言を求め、その請求の原因として、

「一 被告森戸勲は昭和四四年一一月一七日午後三時頃兵庫県相生市池の内五三〇番地先国道二号線上において、普通乗用車(同五ひ三四四八号)の助手席に原告を乗せてこれを運転して西進中、居眠りをしてセンターラインを超えたゝめ、対向して来た訴外清水宏修運転の普通貨物自動車(大阪ま西一九二号)と正面衝突し、よつて原告に対し頭部外傷、前頭部挫創、右膝関節挫創、左大腿部打撲症、頭部捻挫および右手挫創等の傷害を負わせた。

二 被告森戸勲は車両運転中居眠りをしてセンターラインを超えた過失により原告に前記傷害を与えたものであり、又被告有限会社大陽美研は被告森戸勲運転車両の運行供用者であるから、共に原告に対し本件交通事故による損害の賠償責任を負うものである。

三 原告は本件交通事故による傷害につき、次のとおり治療を受けた。

(一)  原告は事故後直ちに兵庫県相生市の半田外科病院に収容されて手当を受け、昭和四四年一二月一八日まで三二日間同病院に入院した。

(二)  同病院は原告の住所地から遠くて不便なため同日タクシーで広島市に帰り引続き同市内の河石病院に入院し、昭和四五年一月二一日まで三五日間入院治療を受けた。

(三)  同月二二日からは通院治療に切り換え現在に至つている。通院先は河石病院、佐藤診療所、公立上下湯ケ丘病院および瀬尾病院の四ケ所であり、それぞれの通院期間および回数は次のとおりである。(同一期間内に複数の病院に通院している時期もある)。

(1)  河石病院(広島市八丁堀) 昭和四五年一月二二日から同年七月二二日まで一八二日間に一五回。

(2)  佐藤診療所(広島県神石郡神石町) 昭和四五年二月四日から同年五月二六日まで一一二日間に一七回。

(3)  公立上下湯ケ丘病院(広島県甲奴郡上下町) 昭和四五年三月三日から昭和四六年八月一〇日まで五七五日間に六回。

(4)  瀬尾病院(広島県比婆郡東城町) 昭和四五年五月一八日から昭和四六年九月一〇日まで四八一日間に一五二回。

なおその後も三日に一度の割合で通院して現在に至つている。

(四)  原告は前記のように治療を続けて来たが現在なお頭痛、頭重感、頸部痛、間歇的眩暈、耳鳴り、両手しびれ感および左下肢しびれ感があり、夜は安眠出来ず、労働意慾を失い、脳波検査においても持続性低電圧除波を示し神経衰弱症状を呈し、軽度の痴呆症状も見え、自発性減退を主とする言動障害をもたらし、少くとも今後七年間から一〇年間位は軽易な労働以外には就けない状態である。なお外傷として右前額部眉毛根部より上方に一二糎の瘢痕醜形を残し、将来消える見込みはない。

四 原告は本件交通事故により次のような損害を蒙つた。

(一)  休業損害 五、三四七、一五四円

原告は本件事故前農業および石工を営んでいたが前記傷害のため労働が不可能となつたため次のような損害を受けた。

(1)  昭和四四年一一月一八日から昭和四五年一一月一七日までの一年間の損害

(イ)  農作業のための人夫賃 一六〇、〇〇〇円

(ロ)  石工の休業損 六一二、七四四円

(2)  昭和四五年一一月一八日から昭和四六年一一月一七日までの一年間の損害

(イ)  農作業人夫賃 一六四、〇〇〇円

(ロ)  石工の休業損 六一二、七四四円

(3)  昭和四六年一一月一八日から昭和四七年一一月一七日までの一年間の損害

(イ)  農作業人夫賃 一六〇、〇〇〇円

(ロ)  石工の休業損 六一二、七四四円

(4)  昭和四七年一一月一八日から以後一〇年間の損害

原告は自賠責保険の後遺症等級七級に当りその労働能力喪失率は五六パーセントであり、その継続期間は一〇年である。それ故年収六一二、七四四円を基準として一〇年間の逸失利益を民事法定利率による中間利息を控除して計算すると二、七二五、八八〇円となる。

(二)  治療費 七一、三一九円

(1)  原告は瀬尾病院に対し治療費一七、四九三円を支払つた。

(2)  原告は公立上下湯ケ丘病院に治療費四、六六八円を支払つた。

(3)  なお原告は現在の症状からすると、昭和四六年一〇月以降なお三年間は通院しなくてはならない。同年一〇月および一一月の治療費は一ケ月一、五〇〇円である。それ故三年間の治療費の現価は民事法定利率による中間利息を控除すると四九、一五八円となる。

(三)  入院中諸雑費 二〇、一〇〇円

原告は合計六七日間入院し、その間一日三〇〇円の割合による諸雑費を支払つた。

(四)  入院中付添費 七二、〇〇〇円

原告は事故後六〇日間付添看護を必要とし、原告の妻および母が交代で付添つた。

(五)  通院交通費 三五六、一四〇円

(1)  河石病院えの通院交通費として二六、五〇〇円を支払つた。

(2)  佐藤診療所えの通院交通費として六、八〇〇円を支払つた。

(3)  瀬尾病院えの通院交通費として一一三、二〇〇円を支払つた。

(4)  現在の症状からすると今後少くとも三年間は一ケ月一〇回の割合にて瀬尾病院に通院することを要する。そこでその三年間分の通院交通費の現価を民事法定利率による中間利息を控除して計算すると二〇九、六四〇円となる。

(六)  慰藉料 二、〇〇〇、〇〇〇円

原告は本件交通事故により重傷を負い現在なお労働が出来ないばかりか将来の回復の見通しもついていない。原告は妻と子供二人を抱え一家の主柱として本件事故により多大の精神的および肉体的苦痛を受けた。その慰藉料としては二、〇〇〇、〇〇〇円が相当である。

(七)  弁護士費用 五〇〇、〇〇〇円

原告は本件訴訟追行を原告訴訟代理人に委任し、弁護士費用五〇〇、〇〇〇円を支払う旨締約した。

五 以上原告の損害合計額は八、三六六、七一三円となるところ、原告は自動車損害賠償保険金から後遺症補償として五二〇、〇〇〇円を受領した。そこで此の金額を右損害合計額から控除すると、残額は七、八四六、七一三円となる。

六 よつて原告は被告両名に対し各自右七、八四六、七一三円およびこれに対する本件事故の日である昭和四四年一一月一七日から支払ずみまで民事法定利率の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。」

と述べた。〔証拠関係略〕

被告両名訴訟代理人は、「原告の請求を棄却する。訴訟費用は原告の負担とする。」との判決を求め、原告の請求の原因に対する答弁として、

「一 原告主張の交通事故が発生したことを認める。但し被告森戸勲が居眠りをしていたとの主張を否認し、又原告の傷害の部位程度を知らない。

二 被告森戸勲の過失を否認する。被告有限会社大陽美研が本件自動車の運行供用者であることを認める。

三 原告が半田外科病院に三二日間入院し治療を受けたことを認める。原告のその余の治療経過を知らない。

四 原告主張の損害額を知らない。農業は原告一人で行つていたものではない。家族で行つていたものである。石工の収入から経費を控除すべきである。原告主張の労働能力喪失率およびその期間を否認する。慰藉料額も高額に失する。」

と述べ、抗弁として、

「一 原告はもともと被告と知合であり、本件事故は原告が久し振りに被告を尋ねて来たので自動車で京都に遊びに行こうということになり、その帰途に生じたものであつて、原告は全くの好意同乗者である。そしてその日程は車中泊が二泊という強行日程であつて、被告森戸勲が本件事故当時過労の状態にあつたことは原告も承知しながらあえて乗車していたものである。それ故これらの点が損害賠償額の算定に当り斟酌されるべきである。

二 原告は自動車損害陪償保険金として、治療費五〇〇、〇〇〇円および後遺症補償五二〇、〇〇〇円の合計一、〇二〇、〇〇〇円を受領している。」

と述べた。〔証拠関係略〕

理由

原告主張の交通事故が発生したことについては、当事者間に争いがない。〔証拠略〕によると、右交通事故に際し運転していた被告森戸勲に前方注視を怠りセンターラインをオーバーした過失があり、その結果本件事故発生に至つたものであることが認められ、此の認定を覆すに足る証拠はない。又被告有限会社大陽美研が被告森戸勲運転自動車の運行供用者であることについては当事者間に争いがないから、被告両名は原告に対し、本件交通事故による損害の賠償責任があるものと言わなくてはならない。

原本の存在および〔証拠略〕によると、原告は本件交通事故により頭部外傷Ⅱ型、前頭部挫創、右膝関節部挫創、右大腿部打撲症、頸部捻挫および右手挫創の傷害を負い、その主張どおり入院通院の治療を受けたが、なおその主張どおりの後遺症が存し、通院治療の必要あることが認められる。

そこで原告の損害額について考えてみる。

(一)  〔証拠略〕によると、原告は本件事故当時農業および石工業に従事し、石工としては年収六一二、七四四円を得ていたが、本件交通事故による傷害のため昭和四七年一一月一七日まで全然稼働することが出来ず、農作業人夫賃および石工業の逸失利益を併せて二、三二二、二三二円の損害を蒙つたことが認められる。更に〔証拠略〕を綜合すると、原告は昭和四七年一一月一八日以降も七年間は労働能力の五割を喪失するものと認められ、年収六一二、七四四円を基準にして計算すると、二、一四四、六〇四円の得べかりし利益喪失による損害を蒙ることゝなる。これに右昭和四七年一一月一七日までの損害を加算すると四、四六六、八三六円となり、これから民事法定利率による中間利息を控除すると三、六一三、四〇〇円四銭となる。

(二)  〔証拠略〕によると、原告は瀬尾病院および公立上下湯ケ丘病院に対し治療費として二二、一六一円を支払つたことが認められる。更に当裁判所の訴外日新火災海上保険株式会社広島支店えの調査嘱託の回答によると、原告の治療費として此の外に一一四、五八九円が支払われていることが認められる。従つて原告がこれまでに要した治療費の合計は一三六、七五〇円となる。なお〔証拠略〕によると、原告は昭和四六年一〇月以降三年間は通院治療を受けなくてはならず、その一ケ月の治療費は一、五〇〇円であり、その間治療費として五四、〇〇〇円を要することが認められる。それ故原告の治療費合計額は一九〇、七五〇円となる。

(三)  〔証拠略〕によると、原告は六七日間入院し入院中雑費として二〇、一〇〇円を要したことが認められる。

(四)  〔証拠略〕によると、原告は右入院中六〇日間付添看護を要し、付添費七二、〇〇〇円を要したことが認められる。

(五)  原告の通院状況および〔証拠略〕によると、原告は河石病院通院費として二五、二〇〇円、佐藤診療所えの通院費として六、八〇〇円、瀬尾病院えの通院費として九七、二八〇円を要したことが認められる。なお〔証拠略〕によると、原告は昭和四六年一〇月から三年間一ケ月一〇回の割合で瀬尾病院に通院することを要するものと認められるから、その間の交通費は二三〇、四〇〇円となる。従つて原告が要する通院交通費の合計は三五九、六八〇円となる。

(六)  原告の傷害および後遺症の部位程度ならびに治療経過に〔証拠略〕を綜合すると原告の精神的損害に対する慰藉料としては一、〇〇〇、〇〇〇円が相当であると認められる。

それ故原告の本件交通事故による損害合計額は五、二五五、九三〇円四銭となる。

そこで被告の抗弁について考えてみる。〔証拠略〕の結果によると原告は被告ら主張どおりの好意同乗者でありしかも被告森戸勲の無理な旅行日程を知るのみならず、むしろその共同計画者であるというべく、かつ同被告が本件事故当時疲労していたのを知りながらあえて運転を中止させず同乗していた点において過失があるものと言うべきである。それ故過失相殺により原告の損害額からその四割を減ずるべく、そうすると残額は三、一五三、五五八円二銭となる。

そして原告が自動車損害賠償保険金一、〇二〇、〇〇〇円を受領したことについては当事者間に争いがない。そこで右原告の損害残額から此の金額を控除すると、残額は二、一三三、五五八円二銭となる。

弁護士費用の点について考えてみるのに、弁論の全趣旨によると、被告が損害賠償金の支払を任意にしないため原告は本件訴訟追行を原告訴訟代理人に委任し、弁護士費用五〇〇、〇〇〇円を同代理人に支払う旨締約したことが認められる。しかし本件における適正弁護士費用額は事案の内容よりみて二五〇、〇〇〇円であると認められる。従つて原告は同額の損害を蒙つたことゝなる。そこで此の金額を原告の右損害額に加算すると二、三八三、五五八円二銭となる。

結局被告両名は原告に対し、各自二、三八三、五五八円二銭およびその中弁護士費用の二五〇、〇〇〇円を除いた二、一三三、五五八円二銭に対する本件交通事故の日である昭和四四年一一月一七日から支払ずみまで民事法定利率の年五分の割合による遅延損害金の支払義務があるものと言わなくてはならない。

よつて原告の被告両名に対する本訴請求中、右の範囲内にある部分は理由があるからこれを認容すべく、その余の部分は理由がないからこれを棄却すべく、訴訟費用の負担について民事訴訟法第八九条、第九二条、第九三条、仮執行の宣言について同法第一九六条をそれぞれ適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 武波保男)

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